「いつでもどこでも見れる」のは正しいのか?

「いつでもどこでも見れる」のは正しいのか?

 ――基本的には「いつでもどこでも買えるのは正しいのか?」で書いたことと同じなのですが、映像(放送)に関する補足を少し。

 例えば『天空の城ラピュタ』をわざわざテレビ放送で見るのは前に書いた「見れる時が限定されているから」という理由の他に、「他の人も見てるから」という「同時性・共通知識」を共有したいという理由があります。

 同時性・共通知識については2007年末~2008年頃に色々書きましたが*1、当時の読みでは「いまさら同時性なんてかったるいよ」という方向に行くものと思っていたのですが、なんだかんだで同時的な――言い換えるとマツリ的な需要が当時より強くなっているような気もします。

(だからこそUstやニコ生でアニメ流せよ的な意見が増えてるのでしょう)

 また「見逃した番組を見たい」という欲求も、「テレビ放送があって」「それが話題になっているから」という理由で望まれているわけです*2。これは要するに「テレビ放送」の価値に依存して「ネット配信」が望まれているのですから、よくありがちな「放送なんて価値がない」だとか「配信が主流になって放送なんてなくなる」というのは的外れなように思うのです。

 それでは日本版huluや月額バンダイチャンネルの価値は何かと言うと「いつでもどこでも見れる」よりも「安く手軽に連続ドラマを見れる」という部分だと思います。要するに「連続ドラマ」はレンタルで見ると巻数が結構お金もかかるし、気になった続きを借りるのに時間がかかる――といった点の解消だと思うんですよ。映画ならレンタルで借りたほうが安いですし、急にある作品を見たくなったとしても単体で配信を購入した方が安いですから。

 ちなみに僕は月額バンダイチャンネルに入ったのですが、理由は『ノエイン』を全話見ると月額に入った方が安いから、でした。1クールものならセットで1000円しないので、入会しなかったと思います。

(なので今月中に解約しようかな~とか思っていたのですが、『ウルフズレイン』が来月月額で見れるようになるので保留中)

*1#1 #2 #3 #4 #5 #6 #7

*2:これはつまり「共通知識」としてテレビ放送(マスメディア)が求められているということです。