大きな「共通知識」は重要な気がするよ。

大きな「共通知識」は重要な気がするよ。

 おそらく濱野さんの連載

  1. 「同期」は大きな「共通知識」を生成する
  2. 大きな「共通知識」は重要である
  3. ゆえに「同期」は重要である

――という流れなのでしょう(おそらくこれは次回説明されるはず)。

 このうち『大きな「共通知識」は重要だ』という点には同意しています。

(違ったら――単に僕が『大きな「共通知識」は重要だ』って主張してるだけですな)

 僕は「同期」が重要になるのは「即時性」が求められるときだと思っていて、もし「(大きな)共通知識」に「即時性」が必要なのだとしたら、「同期が重要である」という点も同意できると思います。

 ですが、「共通知識」に「即時性」が必要かどうかは(その「共通知識」を必要とする)「共同体」の性質によるし、また「即時性」が必要とされる「共同体」はそれほど多くないと思っています。

(せいぜい1週間から1ヶ月程度のうちに共有されれば充分なように感じています)

 現在のネットは小さな「共通知識」による「共同体」の集合なので、今後はより大きな「共通知識」(による「共同体」)が重要になってくる――というのは、なんとなくそんな気はします。

 濱野さんの主張がこの点にあるのだとすれば、もうちょっと掘り下げて欲しいところです*1

*1:今のところ「大きな共通知識」が重要であるという理由を分かりやすく説明できそうにないので。