同期の話、再び(あるいは「新聞」という疑似同期)

同期の話、再び(あるいは「新聞」という疑似同期)

 『アーキテクチャの生態系』を読み終えたので感想を書こうと思うのですが、以前に「同期/非同期」に関していろいろ書いた気がするのを思い出したので、少し。

 『アーキテクチャの生態系』p.198に「新聞」の話が出てきて思い出したんだけど、「新聞」は疑似同期メディアですよね。本にはそう書かれてないけど。後日新聞を読むことで、その日(正確には前日)に起こったことを疑似体験できるという意味では「疑似同期」と言えるでしょう。

 これは新聞が「(全ページに)日付が書かれていて」「前日に起こったことを中心にまとめられていて」「その日にみんな読んでいる」という「経験」があるから疑似体験できるんだと思うけど、その意味では「経験による疑似同期」と言えるかもしれない(「アーキテクチャによる疑似同期」との対比として)。

 で、新聞が疑似同期メディアだとして、ニコニコ動画が新聞と違うのは「マスメディアが提供しない」「共通知識を前提としない」疑似同期だ、という点でしょう。

 新聞にしろその他マスメディアにしろ、「マスである」という共通知識によって同期的特性を得ているわけですが、ニコ動はニッチであっても同期的特性を得ているわけで、そこがまあ画期的なとこなんだろうなと。だから別に「疑似同期」が画期的なわけじゃないんだろう、と思うわけですよ。

 そのあたりについて当時は悶々としていたわけですが。

 このあたりについては今でもd:id:shamanoさんとは意見が食い違うのかもしれません。