結局はバカと暇人を底上げしても誰も儲からないからそんなことしない、ってだけじゃないのかな?

結局はバカと暇人を底上げしても誰も儲からないからそんなことしない、ってだけじゃないのかな?

 d:id:kirikこの記事

個人的には「ネットがこれだけ便利になったのだから、せめて普通の人が頭のいい人なみに集合知を生かすことの出来る場を設計するにはどうすればいいのだろうか」というような命題に取り組んで欲しいと切に願います。

――と言いつつ直後に

いや、勝手に願ってるだけで金は出さないけど。

――と言うように、そういう「理想」はあってもそれで儲かることがないから誰もやらないんじゃないですかね。

(というか、d:id:kirikは分かってて煽ってるんだろうからタチ悪い気もするけど)

 考察は、荻上チキ氏『ウェブ炎上』や鈴木謙介氏 『カーニヴァル化する社会』でも語られているけれど、理想と現実の落差はネットに限らずあることだし、ある程度現場にいる人が、その責任として、どこまで馬鹿と暇人を一定の知識レベルまで引き上げる手助けができるかというのは考えて然るべきことかなとも考えます。なぜなら、彼らは馬鹿で暇人であったとしても、クリック一個であり広告訪問先の顧客であり消費者であって、同じ日本語を話す一人の国民であるわけです。仕事ではそれ相応の専門性を持ち、少なくとも誰かと違ったスキルを持って働いて給料を得て社会人として生活しているのですから、いままでのウェブが馬鹿の巣窟だったのは仕方ないにしても、彼らにもう一段何か持っているものを出してもらえるような仕組みはできんもんかなと思います。

――という話にしたって、カネさえあれば実現できるでしょ。

 誰もやらないのはそんなカネを出した見返りがないからであって。

 「馬鹿と暇人を一定の知識レベルまで引き上げる」ための方法に「知識の物語化」があるのだけれど、これは相当にお金がかかる作業なわけですよ。

 「ネットらしくUGCで」とか言う人もいるだろうし、まあ実際「やる夫で学ぶ」シリーズなんてのは知識の物語化なんだけれど。

 でもUGCは結局「必要な時に必要なモノが揃わない」わけで。馬鹿と暇人の興味をひき続けるように定期的にリリースするのには向かないし、旬なネタを提供するのはまあ不可能でしょ。

 それに馬鹿と暇人にも好みはあるので、実際にリーチさせるためには再編集(再加工)する必要もあるし。かといって例えば「やる夫」なんかを再編集/加工してケータイ小説的に変換して提供しようとすると、それはそれでリスクがあるし(少なくとも無駄に炎上しないように気を遣わないといけない)。

 まあとにかくUGCを利用するのも面倒で手間がかかる(=お金がかかる)わけで。

 それだったらいっそ自前で作ったほうがマシ(リリースのコントロールもできるし、再編集・加工しても問題起こらないし)って話になるわけだけど、じゃあその制作費を誰が出すの? って話に戻るわけだ。

 そもそもその辺(馬鹿と暇人を一定の知識レベルまで引き上げる)が収益に結びつくなら出版社がやってるだろ、って気はするしね。その手のノウハウ持ってるんだからさ。

 だから逆にノブレス・オブリージュとか言って誰かがお金を出しさえすれば「馬鹿と暇人を一定の知識レベルまで引き上げる」のは不可能じゃないよね、的な。

 あるいは「馬鹿と暇人を一定の知識レベルまで引き上げる」ことを収益に結びつける方法があるんなら、それを出版社に教えれば喜んでやると思うよ。