『世間さまが許さない!』で気になった点のメモ(続き)

『世間さまが許さない!』で気になった点のメモ(続き)

 というわけで、『世間さまが許さない!』(岡本薫/ちくま新書)を読みながら気になった点のメモ:

以前はこちら

第3章 「日本的モラリズム」がもたらす「自由主義と民主主義」の機能不全

(「日本人は民主主義に向いていない」以降)

  • ルール違反の行動でもモラルにかなう行為なら免責されるってのは確かにそうだ。
    • ただまあ、(前にも書いたけど)モラルを優先しようとするのは欧米でも変わらないと思う。
    • 違うのは、欧米はルールを変えようとするけど、日本はルールを変えずにモラルを適用すること。
  • 官僚(お上)にモラル(正義)を実現してもらおうとしている、というのはちょっと違うと思う。
  • 日本では当事者が直接対立しないようになっているため、官僚(お上)は裁定する第三者として期待されてるんじゃないのかな。
    • マグレブ型だからってのもあるかもしれないし、狭いところで直接対立するのは不合理だからかもしれないけれど。
  • だからお上(官僚)に「訴える」けれど、それが実現しなくても問題ないというか。「訴えた」という事実が重要。
    • そして裁定が下ればそれには(比較的)素直に従う。
  • だから官僚(お上)以外に裁定してくれそうな第三者がいればそこに「訴える」し、裁定がくだれば従うんじゃないのかなあ。
    • その意味では、もはや中立の(にみえる)第三者なんていないのが問題なのかもねえ。
  • 「反権力」=「権力好き」ってのはそう思う。
    • 権力嫌いな人はそもそも権力に関わろうとしないしね。
  • ちなみに、「自分たちの利益」を「社会正義」とすり替えるのは、本当にそう思ってるからじゃなくて、そう主張したほうが利益が実現する可能性が高いからじゃないのかな。
    • このあたりはよく分からないけど。確かに「本気かも?」と思えるときもあるし。
  • 確かに多数決は嫌ってるよね。
    • おかげで助かってる部分もあるけれど。
    • このあたりは狭い国土でなんとかするための知恵だったんじゃないのかな。

「自由と民主主義」がもたらす「日本的モラリズム」の機能不全

  • 「自由と民主主義」に絶対座標の原点(神さま)が必要ってのは分かる気がするよ。
    • 日本は相対座標だから相性が悪いでしょう。
    • 「自由と民主主義」のおかげでうっかり自分を「絶対座標の原点だ」って勘違いする人が増えた可能性はあるのかもね。
  • そう考えると天皇制は「かりそめの原点」としてはそれなりに上手く機能していたのかも。
    • 間違って「自分が原点だ」って勘違いしないために。
  • この本では「世間さま」が同一であると仮定しているけれど、僕はそうは思えない。
  • 自分の身の回りの「世間さま」と「余所さま」が違ってことをちゃんと知っていると思う。
    • ただまあマスメディアによって多少の勘違い(世間さまと余所さまの境界を間違えること)は増えたかもしれないけれど。
  • 「世間さま」と「余所さま」が違うからこそ、直接の対立を避けて「お上」の裁定を仰ぐんじゃないのかな。
    • 絶対的な拠り所がないんだから。話し合いなんて無理でしょ?
  • 「謝罪」とか「誠意」を求めるのは仕方ないのかもしれない。
    • 問題があるとすれば、それを収める第三者がいなくなったこと。
    • 昔はお上や官僚がやってたはず――いや、今でも官僚はそういうことをしてるはず。対立が増えて追いつかなくなったのかもしれないけど。
  • 会社については、戦後は会社=「世間さま」だったからじゃないのかなあ。
    • このあたりは実感に乏しいのでよく分からない。
  • ちなみに今はネットコミュニティが「世間さま」(の一部)を構成していると思う。
    • 「裏切り者!」的な反応はよく見かける気がするし。
  • そうそう、今は複数の「世間さま」に属してるのが普通で、ひょっとしたらそのへんが昔とは変わっているところなのかも。
  • ルールに対する考えが甘いってのはそうだろうな。
    • 日本では小さな「世間さま」ごとに(暗黙の)ルールがあるのが当然で、うっかり日本全体を大きな「世間さま」にしようとしたのが機能不全の原因ではないかな、と疑ってる。
  • 裁判を避けるのは直接対決を忌避するから(これは前述の通り)。
  • 僕は「同質性」が破壊されたとは思わない。
    • 昔から「同質性」なんてなかったから。
  • 自分の「世間さま」と「余所さま」の境界が認識できなくなっただけでは?
  • (前にも書いたけど)「システムの問題」を「モラルの問題」にしちゃうのはイヤ。

「世間さま制」にしたら?

  • 現在の政治家も「世間の空気」を読むのに敏感な方々がなっていると思うんだけどなぁ。
    • そういう意味である程度はちゃんと「世間さま」システムが働いている、はず。
    • たまに「世間の空気」が読めない政治家がいてがっかりするわけですよ。
  • ちなみに官僚は「第三者としての裁定者」ね。
    • 加えて「世間の空気」を読む能力も要求されているんじゃないかな。
    • たまに「世間の空気」を読み違えて叩かれたりもするけれど、概ねうまく機能してるんじゃないでしょうかね。
  • 今の政治がうまく「世間さま」を反映できなくなっているとすれば、昔は地域=「世間さま」で、ちょっと前までは会社=「世間さま」だったけど、最近は他にも「世間さま」が増えているからじゃないのかな。
    • だから地域に代表にしか投票できない今の選挙システムでは今の「世間さま」に対応できないのかもしれない。
    • もっとも「世間さま」の代表は選挙で選ぶ必要なんかないので、必要であれば「世間さま」を代表する団体を作って政治家や官僚に存在をアピールすれば解決するのかもしれない(たとえばMIAUみたいに)。
  • ちなみに「世間さま院」みたいに、日本全体を「世間さま」と見立てるアプローチはダメだと思う。
    • そんな日本を代表する「世間さま」なんて存在しないから。
  • そうじゃなくて、小さな「世間さま」単位で利害の調整を徐々につつ上に訴えていくのが日本で上手く機能するシステムだと思う。
  • 超間接民主主義というか。ボトムアップ民主主義というか。
  • 今までも業界団体はあって、そのへんが調整してきたんだろうけれど。
  • ここ最近はネットのおかげで「世間さま」が増加してきたのに、それを代表する団体が不足してきたから問題が起こっているのかもしれない。
    • 最近は徐々に増えてきてる感じもするから、そのうち適当に調整されてくるんじゃないのかな、なんて思ってたりもするのですが。

 ――感想としてはこんな感じ。