「デバイス=クラウド系」から見た電子書籍論とかiPad論とか
「デバイス=クラウド系」から見た電子書籍論とかiPad論とか
d:id:masaysさんの『Kindleショック インタークラウド時代の夜明け』に書かれていたことをザックリと説明すると
――って話で、「パソコン=純インターネット系」と「デバイス=クラウド系」の違いや、それぞれの関係性などについていろいろ説明していた感じでした。
同書についてはいろいろ思うところはあるけれど*1、「デバイス=クラウド系」が主流になるだろうっていうのは正しいんじゃないかなと僕も思います。
同書を読みながらふと思ったのは、ネット世間で語られている電子書籍論は結局のところ「パソコン=純インターネット系」から見たものばかりであって、「デバイス=クラウド系」から見た議論はほとんどないってことです。今後「デバイス=クラウド系」が主流になるのであれば、そちらから見たものを議論したほうがいい気がするんですけどね。
例えばDRMの話だとかフォーマットの話は「自由原理主義」である「パソコン=純インターネット系」から見た場合は重要かもしれませんが、制約を前提としている「デバイス=クラウド系」からすればそんなことはどうでもいいわけですよ。それよりも「どういう制約であればビジネスとして成立するか」「どういう制約であれば利用者に分かりやすいか」を考えるべきだと思うのですが、自由原理主義者にとっては「制約を考える」ことは「悪」なのですから、そういう議論はネット世間ではあまり流行りそうにないのが残念です。
同様に「デバイス=クラウド系」であるiPadについて語られる内容も、現時点での利用者のほとんどが「パソコン=純インターネット系」の人達であるために、そちら側からの(自由原理主義的な)視点ばかりなんですよね。かと思うと、他の「デバイス=クラウド系」に対しては自由原理主義的要望を訴えるのに、何故かAppleに対してはそういう要望を訴えないダブルスタンダードが垣間見えるのが不思議だったりしますけれど。
AppleがiTunesで狙っているものはiモードの再定義だと思ってるんですけれど*2、制約の作り方がiモードとiTunesでは全然違うので、その比較をすると面白いかもしれません。また、エコシステムとしてのiモードにiTunesがどれくらい追いつけるかも気になるところです*3。
そろそろ「iモードの功罪」とか「iモードの栄光と挫折」とかを誰かがまとめるといいんじゃないかと思うのですけれど、ネット世間では「今更iモード?」みたいな風潮ですので、誰も書かないですよね。。。
個人的には境さんが書くべきと思っているのですが。書かないんでしょうかね?