「表現」が増えるわけじゃなくて、「全ての表現がウェブに集まる」ってことなのですね

「表現」が増えるわけじゃなくて、「全ての表現がウェブに集まる」ってことなのですね

 ちくまのサイトに梅田さんのインタビューがあるというので*1読んだら、

この本のなかに、注意深く、「芸術的な領域を除けば」というフレーズを入れておいたのですが(『ウェブ進化論』第四章、138ページ)、その領域(の総表現社会)は、もうすでにあったのではないかと思います。出版社を頂点としたシステムがあり、そこにはいろいろなもの(小説)が送られてきて、それを読み評価するのが編集者の仕事、ということだったと思います。■「総表現社会」と出版社

――なんてコメントしてるじゃないですか。つまり「総表現社会」の「表現」という言葉は、誤解されるだろうと認識した上で使っているわけですね。ひどいや(笑)。

 「表現する人」や「表現」そのものの数が増えわけじゃなくて「今まで目にすることのなかった表現が見えてしまう」って話なんですね。「総表現社会」というのは「全ての(表現したい)人が表現する社会」ではなくて、「全ての表現がウェブに集まってくる社会」という意味なんでしょう。そういう風に書いてある気もするけど、もしこの理解で正しいとすれば分かりにくすぎると思います*2

 そして増えた表現はGoogleを始めとするテクノロジー企業が「そこにはいろいろなもの(小説)が送られてきて、それを読み評価するのが編集者の仕事」をするようになるだろう、というのが梅田さんの主張なのだと思いますし、それは確かにある程度はそうかなと思います。

 でも僕は梅田さんの視点には欠けている致命的な何かがある気がしてるんですよね……。

*1http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060317/p1

*2:そうでもない? 勘違いしてたのは僕だけ?