テレビは同期型ではないと思うのですけれど。
テレビは同期型ではないと思うのですけれど。
濱野さんの記事は僕の興味に近いのもあって楽しく読んでいるのですが、「同期性考察編」については疑問がありましたのでここにメモしておきます。
「同期性考察(3)」およびその補足でテレビを「同期型」としていますが、テレビは非同期メディアでしょう。テレビ局側は「相手がテレビを見ている」ことを確認できないのですから。同期型であるからには(電話の例でも書かれていたように)相手に伝わったことを確認できる必要があるはずです。
そして非同期であるテレビが「共通知識」を生み出すことができるのはその後の「公的情報」の説明の通りです。これはテレビに限ったことではなくて新聞なども含んだマスメディア(あるいはマスコミ)全体にあてはまる話です。
しかしそれでもテレビやニコニコ動画の「時報」が強力であるという主張には説得力があるように思えます。
これはそれらが「受動的」なメディアだからである――つまり、積極的に見ようとしなくても目に入る(耳に入る)ためにより共通知識が生み出されやすい――と考えたほうが整合的ではないでしょうか。
ついでに書くと、音声(聴覚)メディアのほうが文字(視覚)メディアに比べて受動的になりやすいという点も考慮すべきかもしれません――したがって同期/非同期という対比ではなく、連続(アナログ)/離散(デジタル)という比較のほうが適切なようにも思います。
(追記:「受動的」であることよりも「選択肢がない(少ない)」ことが重要のような気がします)
このあたりについては
ただし、この仮説は論争的な議論の広がりを持っていますので、次回に稿を改めて論じたいと思います。
とのことですので、そのうち解説されるのかもしれませんけれど。
それはそれとして。
同期的なもの――電話とか会議とか――は他人の時間を奪う(自分の時間を奪われる)という点が問題で*1、それを回避するための非同期がようやく実用的になってきたのが21世紀に入ってからのような気がしています。今はまだ同期的な部分が多くて、今後はもっといろんなモノが非同期化されていくんじゃないのかな、というのが僕の予想。
だから同期的なモノに対しては基本的には否定的です*2。
それでも即時性が必要な場合は同期的なほうが効率的ですから、そのために「他人の時間を奪わない(自分の時間が奪われない)」同期システムを作る必要があるだろうな――と思っているのですが、残念ながらそういう話を見かけたことがありません。
逆パーソナライズ――例えば自分の興味のない情報についていろいろ教えてくれるもの――も重要だと思うのだけれど、見かける記事はパーソナライズのことばっかりだしね。マス広告が効果を発揮するのは興味のないモノに対してだと思うんだけどなあ。
*1:メールに即時返信を要求したり、あるいは会議が大好きな人というのは、相手の時間を奪う(束縛する)ことによって自分の価値を高めようとしてるんじゃないかと思う。
*2:LingrとかSecondLifeとか。