2006-02-11
そうだよ、本人に聞いてみればいいんだよ。
今まで全然気がつかなかった。
なんかパネラーの人たちがはてなブックマークの話をたくさんしてて、開発者がここにいるって言うのに開発者そっちのけで色々話してて、まあ最後に開発者から一言とかで呼ばれるだろうと思ったらそんなこともなくって。おまえらいい加減にしろと憤慨しました。いや、冗談です。似たようなことをやってるけど実は違うことをやってる人たち
そりゃそうだ。なので常々気になっていたことを開発者の方ににちょっと聞いてみよう*1。
タグとコメントの入力欄が分かれていないのは何故でしょう?
なんとなく理由は想像できるのですが(それが正しいかどうかはともかく)、でもタグをスペース区切りで入力できるメリットを捨てている点は納得できないので。
タグの区切りが行頭しか機能しないのは何故でしょう?
これの理由はちょっと分からない。
僕はタグをで指定できるようにしたのは、
この件については絶対[谷島宣之]さんがコメントすると思っていたので、待ってました。
ざっとコメント読んだけど、[大橋巨泉]は相変わらず嫌われてるのね(笑)。
――みたいな使い方をするためだと思っていたのですよ。ところがこれができなくて「あれ?」と思ったので。
先頭のしか見ないんなら、その中はスペース区切りでもいいんじゃないの?
最初に書いたものにも関連しますが、タグを書くのにわざわざでくくるのは面倒なんですよ*2。
どうやら先頭の[]しかチェックしていないみたいだし、だったらスペース区切りでいいんじゃないのかな、と。あ、ちなみにスペースは全角空白も含みます*3。
アイデアを出すことの価値
僕もアイデアを出すことが全くの無価値だとは思っていないです。
そんな風に思ってたりもするので、アイデアよりディテールこそ命、それは全く認めるのですが、かといってアイデアを出すのが全く無価値のように思われてしまうと、ちょっとなあとも思ってしまうのです。神はディテールに宿るのではあるけど
アイデアを出すことが無価値でないことを言いたいがために「以下蛇足」以降でぐだぐだ書いていたつもりだったわけですし。
そもそも「アイデアはパブリックドメインでいいじゃん、という思想」で言いたかったのは「アイデアを保留してもしょうがないんじゃないの、オープンにしたってマイナスにはならないよ」ということだったし、その公開したアイデアを「自分(だけ)のもの」だとは言って欲しくない、ってことだったのです。
仮に同じアイデアでスタートしても実装者が違えば別のものになってしまうんですよ。アイデアを出した人がその実装を気に入らなくて「それは俺のアイデアじゃない」と言うかもしれないし、その実装に人気が出て「それは俺のアイデアだ」と言うかもしれない。でもそれは違うんじゃないかなと思うのです。
本当の意味で「自分のアイデア」を実現するには自分自身でやるしかないわけで、何がなんでも自分でやるのであれば「自分で実装するまでアイデアをオープンにしない」という戦略もありだと思います。前に「できるだけアイデアを公開するようにしてます」なんて書きましたが、それでもまだ公開していないネタがいくつかあるわけですよ。自分で実装したいから。
でもアイデアを晒してそのアイデアが他人のものになったとしても、それを上回るメリットがあるんじゃないか。そもそも「そのアイデアは俺が(先に)考えた」なんて主張は意味がないんじゃないか。
そういうことを自分に言い聞かせるために書いた文章だったのです。
それで「じゃあアイデアを出すことの価値ってなんだろう?」と改めて考えて、「以下蛇足」以降をちょっと書いてみたわけです。
ディテールを扱える「実力」があることは全く本人の才能と努力の賜物だと思うのですが、一方で「立場」にいることはほんの少しの運の違いだったりすることもあると思うので、それだけでディテールを扱える側が一方的にアイデアを吸い取ってどんどん「実績」を挙げていって、立場が固定してしまうのはどうかなあと。
アイデアだけでは「実績」にならないのは認めますけども、ディテールを扱って「実績」を挙げるための立場のチャンスは、アイデアだけでも流動化してもいいんじゃないかなと思うのです。
僕は「実績」にはいろいろな形があると思っています。例えば文章にして他人に理解できる形にしてアイデアを説明することも実績でしょう。
いま数年振りに企画書を書いているのですが、そこに書かれているモノは基本的にアイデアに過ぎないと思っています。でもその企画書(あるいはそこに書かれている文章)そのものは僕の実績です。
同様にネットにアイデアを文章として書き残すことは実績だと思います。
ただしその文章に書かれたアイデアを読んで他人が何かを実装したとしても、その実装に対して「それは俺のアイデア」だとは主張はできないだろう、と思うのです。「俺のアイデア」は書いた文章でしかないから*4。
それでもアイデアを文章にすることは無価値じゃないのは、それを読んだ誰かが「この人に何か頼んでみよう」と思うかもしれないから。
文章でアイデアを書いて評価されるのは、ひょっとするとアイデアを実装することより難しいことかもしれない。場合によっては文章にするよりコードを書いたほうが早いかもしれない*5。でもアイデアを書いた文章が全く評価されないということはないと思うのです。
「以下蛇足」に書いた(つもりだった)のは、アイデアには実装以外の評価軸もあるからそれぞれに応じた評価がなされるだろうし、評価すべきだろうということです。
だからアイデアを出すことには価値があると思います。
その上で「アイデア」そのものは誰のモノでもない、というのが僕の主張です。