流動性トラップとか産出ギャップとか
流動性トラップとか産出ギャップとか
山形浩生さんのトコにあったクルーグマンさんの論文をぼちぼちと読む。
以下に書いたことは思いっ切り誤読していることが分かった。
読み返すと目茶苦茶恥ずかしいけれど、自戒を込めて残しておきます。
経済について長年疑問だったことは、どうやら「流動性トラップ*1」とか「産出ギャップ*2」とかの用語で説明されるらしい。
「効率良く生産する(=生産能力が上がる)ことが良いことだ」といろんな人が言っているわけですが(少なくとも僕はそう言われていた気がする)、「生産能力が上がるということは需要に対して短時間(低コスト)で生産できるということだろうけれど、でも仕事の時間が短くなったなんて話は聞かないね。その余暇はどこに消えたんじゃろ?」とずっと疑問に思っていたわけですよ。
読んでみると、消えた時間は単純に産出ギャップ(≒失業率の増加)として現れるらしい。なるほど、納得。
他にも、生産性が上がったおかげでデフレになって不況になってと、ロクなことがないらしい。
とはいえ、今までは効率が上がることは良いことだったわけだ。なぜかというと需要に対して生産が追いついていなかったから。ところが現在はその需要を生産が追い越してしまったのが問題だ、と。
じゃあ需要を増やせばいいじゃないかと思うけれど、「いまお金を使うより、将来お金を使ったほうがオトクだ」と思っている人が多いから(理由はいろいろあるみたいね。デフレだから未来のほうがお金の価値が上がるとか、あるいは先行きが不安だからお金を貯めておこうとか)需要が増えない――というのが流動性トラップらしい。
もっとも、デフレに関してはイマイチ実感がわかないのだけれど。コンピュータ関係は常に「構造デフレ*3」なので、そういうモノに付き合ってきた人間としては、常に「欲しいときが買い時」なので買物を我慢するという心性はあまりないし、まわりを見ても似たようなものだという感じがする(世間はしらないけど)。
であれば「欲しい物がない」という状況が問題なのかもしれない。「オタクがお金を使う」のは「欲しい物がある」からだろうし。
(その意味で「新三種の神器」は確かに希望の星なのかもしれない)
先行きが不安だというのについては、半分は(いやひょっとするとほぼ完全に)マスコミおよびマスコミを信奉する人々のせいじゃろ、とか思うのでどうしようもないかな。もうちょっと気楽に暮らせばいいのにと常々思うけれど、そんな風にいい加減に生きてる人ってあまりいないし。
であれば、マスコミがもうちょっと気を使って危機感を煽らないようにすればいいと思うんだけれど、「将来がヤバイそうだけど、どうしたらいいの?」と多くの人が思っている(らしい)=そういうトコに需要があるので、どうにもならないんでしょうなぁ。
「将来を良くするには、いまいっぱいお金を使うこと」というのを、説得力のある形で提示できる人がいればいいんでしょうけれど。
(個人的には以前のように累進課税を強めれば消費意欲(需要)が増えると思っているのだけれどね。流動性トラップで言うところの「流通しないお金」は、なんだかんだ言って所得の多い人々や企業に溜まっているだろうから)
この状況が続いてひどい目に遭う(あるいは遭っている)のはおそらく団塊ジュニアの世代だろうと思うので、まさに「親の因果が子に報い」なのですな。団塊の世代が引退して落ち着くまではこんな感じのような気がするし、団塊の世代が引退した頃には団塊ジュニアはオイシイ時代を逃してしまう気がしますので。